「CLANNAD」

(Key/ 2004.4.28)


 「Kanon」「Air」で有名なKey」の3年ぶりの新作(公式サイト)。今回は全年齢版のみでえろシーンはないが、「春原ホモエンド」やBL系ショタキャラも用意されているので、婦女子にも安心。そういう方面から興味をもった人は こちらのレビューを参考にされたい。主要登場人物は17人で、他にヤンキーやサッカー部員等の脇役がいる。一回のプレイでは読みきれないぐらいの膨大な量のテキストを用いて、彼らが住む街の中で展開される人々の生活が描写される。いくつかの選択肢の組み合わせで特定キャラクターのルートに乗るわけだが、それまでの主人公の行動や登場キャラクターによって一部イベントにバリエーションがある。「3 on 3」や「おまじない」などがその代表で、繰り返しプレイする人のためにゲーム性を高める努力していることは認められる。しかし「3 on 3」はストーリー展開を冗長にし、話の流れを阻害しているだけのように思える。途中で挿入される「幻想世界」は一応、理解可能な性質のものだが、こんな設定を作るべき必然性はそれほど感じない(ただの病弱系で、どこか問題があるのか?)。

 絵は樋上いたる。シナリオのメインライターは麻枝准。よく読んでいると全く雰囲気が違う部分が入っているが(「After story」前半の電気工事話など)、それは多分、シナリオアシスタント2名が手を入れた所だと思われる(つか、その部分だけ不自然に出来がよい)。「杏&椋・有紀寧・柊勝平」は「Bonbee!」の魁、「芽衣」は丘野塔也、「一ノ瀬ことみ」は涼元悠一がそれぞれ書いたらしい(ソース)。麻枝准の手になる主人公と春原のアホアホな日常会話は読んでいて面白いが、逆に最も重要なこの二人のキャラクター付けや、その裏づけとなる細かい描写(例えば周囲からの批判的な視線や過去の経験)が十分でない。特に春原の動かし方に一貫性がなく、便利な脇役に使われている点が目につく。(小説家が書いただけあって)全体を通した構成や伏線の処理は「ことみ」シナリオが頭一つ分ほど抜けており、「杏&椋」「芽衣」がこれに続く(他のものはそこそこだが、「有紀寧」については何も言いたくない。つか、途中でライターにでも逃げられたとしか思えないレベルの出来なんですが)。


*以下、一部にネタバレあり。

 古河渚・伊吹風子・藤林杏・一ノ瀬ことみ・坂上智代・幸村幸村・柊勝平・相楽美佐枝・宮沢有紀寧・春原芽衣の計10人のTrue endをクリアすると「After story」に入ることができる。これは渚シナリオの続きに相当し、フラグもそれまでのプレイを引き継いでいる。しかし、普通にプレイしてここまで到達するのは(よほど暇で根気がある人でない限り)難しいかと思うので、適当な攻略サイトを参考にした方が吉かと。効率よく進めるには順番も重要で、とんでもない所が後になって重要なフラグになっていたりもするので注意が必要。「After story」は少なくとも3回プレイすることが必要。基本路線は主人公と渚が家族を作っていく過程を描くものだが、その中で1周目に古河早苗・伊吹公子(風子)・芳野祐介・岡崎直幸、2周目で古河秋生をめぐる小イベントが展開される。そして3周目ラストで、Keyお得意の「奇跡」が起こる。

 この作品で最も描きたかったのだろうテーマは渚シナリオ(After story)なのだろうことは理解できる。「古河一家」の関係と、その逆を行くような主人公の家族。そして彼がやがて作ることになる家庭。「人間関係に淡白&無気力な主人公がヒロインたちとの関係の中で、他人を信頼するようになっていく」といった(「ことみシナリオ」みたいな)テーマはギャルゲ&えろげでも珍しくないが、ここまで正面から家族の問題を取り上げたのは、たしかに新しい。正直、古河家の設定はあまりにご都合主義的でリアリティに欠けるが、別にそこは批判すべき点ではないだろう。むしろ大きな問題点は、この話が一部信者たちによって観鈴ちん(Air)補完シナリオとして理解されてしまっている所であり、その理由の一部は「父親を描く」ことには成功していないことによる。麻枝准はこの作品で「父親を描いた」と話しているようなのだが、彼が描いたのは「父親の持つ母親的な側面」だけであって、「父性」(「禁止する他者」あるいは「乗り越えるべき壁」)は作品中に十分には取り上げられていない。その点で主人公と古河秋生の野球対決のシーンは重要なのだが、それまでの彼らの関係&行動の描き方とあまりに整合性がないために、取ってつけたような感じを受ける。基本的に秋生のポジションはカップルを見守る「二人目の早苗さん」以上のものではないのだ。

 After storyで特に強く描かれる「家族イデオロギー」については「そういう話」と割り切ればいいことだが、それを主張する以上、逆にそれを得られなかったケースについてきちんと描いておいた方が話が締まる。After storyの中で主人公自身が、「もし彼が渚に出会わなかったら、どうなっていただろうか?」という問いを発していて、渚は「それでも別の誰かに出会っていただろう」みたいな答えを返している。実際にそういう人が身近にいなかったがために、彼の父親は刑務所入りまで行ってしまったわけだが、その彼も最後には「母親」という母性原理に基づく「家族」に回収される。有紀寧シナリオに出てくる不良たちにしてもそうだが、麻枝准の世界観では(メインヒロインの不幸が「運命」としてやってくるのと同様に)「最後に帰るべき場所」は「気がつけばそこにある」あるいは「必ず用意されている」ことになっている。こういう世界観に浸ることで「癒される」人がいるのは理解の範疇に入るが、しかし「所詮は作りごと」のように思えてならない。その意味でかなり重要な位置を占める智代シナリオについても同様のことが言える. こちらでもダメダメな主人公は最後には彼女によって一方的に回収されることになる。父親との関係からやる気のない学生生活を送っていた主人公が、明確に目的をもったヒロインと出会ってしまったことから始まる悲劇。変わることができなかった主人公とは裏腹に、どんどん才能を伸ばしていく智代を見て、彼は彼女から手を引く決断をする。「誰かと共に歩む」ことを中心に据えたシナリオ群を裏から見たものなのだが、最後の最後はこれも「母性的な」智代によって主人公が回収されてしまう。このシナリオで最後の最後まで主人公が堕落していく姿を描いておけば、(上で書いておいたAfter storyの話における)主人公と渚の会話や、それに関連した芳野の主張も際立つと思うのだが。

(結論)非常に微妙。普通のギャルゲとして見るなら、「ことみ」「杏」「芽衣」はプレイする価値がある(「杏」ラストは微妙だが)。「渚」(前半)は平均並〜出来が悪い部類に入ると思う(つか、私にはなんで朋也がそこまで渚に入れ込むようになったのか、全然、理由が理解できない)が、後半については(感性が合う人にとっては)きっと感動作なのだろう。残念ながら私の感性とは180度逆を行くものであったが。それと便座カバー。


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