「Air」

(key / 2000.9.8)


 言わずと知れた、  key の第2作。パッチを当てた状態ではMS-Windows XP環境でも問題なく動作し、また「わっふる」とダミーgllを使用することで、Sigmarion IIでも完全にラストまでプレイ可能なことを確認した。作品は3部構成で、「Dream編」で観鈴・佳乃・美凪のTrue endを見ると、一本道の「Summer編」が選択可能となる。さらにこれを終了すると「Air編」が選択可能となる。Air編はDream編観鈴シナリオを「カラス」(そら)の視点から見た形で進行する。攻略については「青い空-羽根の音-」の「AIR徹底解説が詳しい。

 「 エロゲー批評空間」の 統計を見た限り、9割近くの人が70点以上をつけているし、「アンチ」もいるが、一方で「名作」「泣ける」という意見をかなり目にもする。中には「一週間ほど再起不能になりました」という感想もあったようだが、どうしたわけか、私にはそれほど大騒ぎするほどの作品とは思えなかった。Dream編の美凪シナリオだけは見るべきものがあると感じたが、メインとなる観鈴のストーリーにはあまり説得力があるように思えない(むしろ佳乃シナリオの方が筋が通っている)。最近、5日間ほどかけて、通しで全シナリオをプレイする機会があったのだが、それでもこの感想は変わることはなかった。


 以下、ネタバレあり。注意。
 この作品には2本の軸がある。一つは「家族愛」、もう一つは観鈴による「過去の清算」である(Dream編の美凪・佳乃シナリオでは、後者はどうでも良い扱いではあるが)。見通しをよくするために、メインストーリーである観鈴ちんの話から見ていこう。

 観鈴は他人と親密な関係になると癲癇を起こすという厄介な病気を抱えていた。そのために友達も作れず、一人で変なジュースを探すなどして遊ぶしかなかった。彼女がまだ子供の頃、実の母親はそんな観鈴を放り出して家出し、実の父親である「橘啓介」は母親の妹にあたる神尾晴子に子供を押し付けていた。晴子は「いつ観鈴が啓介に取り戻されるかわからない」という恐れから、観鈴を実の子のように扱いたいと思いながらも、どうしても距離をおいてしまっていた。だがそれがために、逆に晴子と観鈴は十数年間、一緒に暮らすことができたわけだが。

 ある年の夏(「高校2年」という噂もある)、彼女が暮らす町に一人の旅人がやってきた。名前は「国崎往人」(主人公)。「今年の夏は、なんか違うと思っていた」観鈴は、往人さんと友達になろうとする。ちょっとした紆余曲折はあったものの、神尾家に居候することになった往人は、急速に観鈴と接近していく。それにつれて観鈴の様子もおかしくなっていくわけで、癲癇だけではなくて、やがて夜な夜な不思議な夢を見るようになる。どうやらその夢は、だんだん時間を遡って行っているようだ。

 そもそも、どうして往人が旅を続けていたかというと、母親から聞いた「空の上にいる少女」を探していたから。はじめは彼にもよくわからないのだが、とにかく空の上には一人、風を受けながら悲しみ続けている少女がいて、母親は「そいつを助けてくれ」と言い残した(観鈴シナリオ以外では、彼自身が本当にそれを望んでいるのか、それとも母親の幻影にとらわれているだけなのか疑問を持っているとする記述がある)。観鈴の病状の進展とともに、やがて彼も母親から聞いた少女の話しを詳しく思い出すのだが、どうもその話しと目の前にいる観鈴の様子が妙に符合する。観鈴の悪化が結局のところ、自分が彼女に接近しすぎたことが原因だと考えた往人は「一緒にいると自分も危ない」と言って観鈴の前から去ろうとしたが、やはり彼女の元に戻ってきてしまう。「もはやダメか」というところで往人(が持っている人形)の力で観鈴は一時的に回復するが、往人はどこかに消えてしまう(Dream編観鈴シナリオはここで終了)。

 話しは微妙に前後するが、観鈴がベッドから出られなくなった頃に晴子は「温泉巡りツアー」に出かけてしまう。往人は「何て無責任な」と憤慨するが、彼女は実は橘家に観鈴を引き渡してくれるように直談判に出かけていたのだ。粘ったかいあって義理の両親はそれを許したが、実の父である啓介は晴子の所にやってきて、観鈴を引き取ろうとする。観鈴が晴子を母と認めれば、その話しはナシになるのだが、間の悪いことにちょうど観鈴の記憶が失われつつあるところだったので、晴子はただの「おばさん」としか思ってもらえない。それでも3日間の猶予期間の間に「愛が勝って」しまい、ついでに観鈴は立ち上がれるぐらいまでには回復する。が、これは彼女が「空の少女」の全ての記憶を取り戻したからで、結局は「ゴール」してしまう(以上、Air編)。

 では、観鈴が取り戻そうとしていた記憶とは何か。それがSummer編で語られる、1000年前の「翼人」伝説である。こちらの話しの主人公は「柳也」で、彼はふとしたことから翼人である「神奈」の護衛を勤めることになる。彼は神奈が人間の権力争いに巻き込まれて命が狙われていることと、彼女がどこかにいる母に会いたいという望みを持っていることを知って、付き人である裏葉とともに屋敷を抜け出す。追っ手からの逃避行を経て、3人は高野山に幽閉されていた神奈の母に会うことに成功するも、神奈の目の前で母は死んでしまう。しかも僧兵の攻撃によって、神奈は空に昇るも悲しい記憶のみを持ったままで永遠の時を過ごすことになってしまった。その後も旅を続けた裏葉と柳也は「法力を持った子供を残し続けることで、いつか神奈を救おう」と決意する。その末裔が往人ということになる。

 以上、観鈴シナリオのアウトラインを見てきた。Dream/Air編は観鈴・晴子の親子関係の再構築を主題としており、これに往人と母の関係も絡んでくる。Summer編は直接的には神奈とその母の話なのだが、そこに柳也・裏葉・神奈の擬似的な家族形成の話しも入っているようにも見える。観鈴・神奈の両者に共通するのは、当人の与り知らぬ要素によって強制的に親子関係が絶たれている所で、そこに第三者が介入することでその関係が(一時的ではあれ)回復される。全体的な話しとしては矛盾はないし、観鈴が奇病にかかる理由もきちんと説明されている。にもかかわらず、これらの話の根底となる所に、どうしても私は理解できないところがある。それは

という2点これに加えて。Summer編については も疑問となる。このうち最後に関しては「 萌え文集」(同人誌)に利休氏が裏葉のポジションについて興味深い話しを書いているのだが、残念ながらこれも裏葉と神奈の関係を前提とした上でのものである。

 観鈴は夜、なんか連続ものの夢を見ることで、それが何かを暗示しているという確信をもち、やがてそれが空の上の少女の記憶であると理解して、それを全て見届けなければならないという強い義務感を持つに至る。これらについては「彼女がそう思ったのだから仕方がない」と言われればそれまでだ。ただ、プレイヤーは物語の外部から、往人さんの「空の上の少女」の知識を持った上で観鈴の行動を見ているから、彼女の漠然とした感覚がただの妄想ではないと想像できるのであって、実際に自分が観鈴であったならば、はたしてこういう強い確信を得るに至るものだろうか。また、Air編でやっと観鈴を自分の子供として受け入れる決心をした晴子が、病状が悪化していくと観鈴を病院に連れて行こうとする気配も見せないのは不自然だと私には思える。観鈴がどういう顛末になるか、晴子は往人の言葉からわかっているはずなので、なおさらその「運命」を変えようと悪あがきするのが、人間というものだろう。その意味でAir編の晴子と観鈴の関係は(美しく描いていることは認めるにしても)不自然だと思う。Summer編について。これは「過去の因縁を明らかにする」という明確な目的があるわけで、それは十分に果たしている。「結」はその目的のために不自然な気がするが、よくできた短編小説のようにストレスなく読める。ただ、裏葉にしても柳也にしても、どうしてそこまで神奈に肩入れするのか、その理由が私には全然、理解できない。柳也については神奈に対する恋愛感情からではないことが明らかで、むしろ自分のマザコン意識を神奈に投影しているのではないかという気もしなくはないが、作品中にその根拠となる記述があったかどうかはよくわからない。

 ということで、この作品の中核となる観鈴シナリオについては、彼女の電波とも思える確信を所与の事実として受け入れることができれば、後は一貫した美しいストーリーであることは認める。ただし、個人的にはあまりに人間というものを善意に、美しく描きすぎているという気がしなくもない。その意味で、私はむしろDream編美凪シナリオの通称「夢現エンド」の方を高く評価している。美凪シナリオについては、しのぶさんが「 AIR 美凪シナリオに関しての、私的解答」という文書を書いている。物語の解釈(特に美凪の罪悪感の解消)についてはそちらを読んでもらった方が早いのでさっくりと省略する。私が観鈴シナリオよりも美凪シナリオを高く評価するのは、ヒロインの抱えている課題・障害とその解決が、合理的に理解可能な形で示されているからだ。この点、佳乃シナリオは離人症状の原因とその解決に超越的なものを持ち出さない限り説明がつかない(ついでに書くなら、佳乃とのえちシーンの後でも彼女がバンダナをしている理由もよくわからない)。

 話しを大まかに説明するとこんな感じだ。遠野美凪はまだ小さい頃に妹ができることになった。彼女は「みちる」と名づけられ、生まれるまでの間、美凪は「姉」として母親の腹の中のみちると話しをしていたのだが、いざ出産になると母体が危険となり、残念ながら死産。そのショックからか、母親は精神に異常をきたして美凪を「みちる」と思い込んでしまう。追い討ちをかけるように父親は離婚して行方不明に。よくまあここまで黒い話しを考えたものだと思うが、実は現実にはあっても全然不思議はない。ところがある日、美凪の前に「みちる」という少女が現れた。美凪は家では「みちる」として振舞うしかなかったのだが、彼女の前だけでは「美凪」でいることができた。そこに登場するのが往人さんで、だんだん彼と美凪の仲は接近していく。そんなある日、憑き物が落ちるように美凪の母の病気が治ってしまう(インチキのようだが、夢を通じて精神の病が完治することはそれほど特殊な話しでもない)。病気が治ってめでたいようだが、彼女が「みちる」の死を受け入れたことで、それまで存在していた「みちる」、つまり美凪の居場所がなくなってしまった。その解消のルートが2通りあるわけで、それは往人がどういう形で美凪に介入するかということで決定される(この辺をきちんと論じると面白そうだが、今回は省略)。トゥルーエンドの場合、本来の居場所である自分の家に「美凪」として収まる。ところが夢現エンドではそれに失敗して、往人さんと旅に出てしまう。

 ストーリー全体の流れから見ると、夢現エンドでは何ら問題が解決されておらず、明らかにバッドエンドと言ってもよい。にも関わらず私がこちらの方を高く評価するのは、Airという「美しさ」を追求した作品の中で、珍しく人間らしい生の感情を描いているように見えるからだ。このルートに乗ると、実は誰も本当の意味では幸せになれないし、それは(母親以外の)当事者はみんな自覚している。「美凪の居場所になる」ことを決意した往人も、母親から逃げ出した美凪も、みちるの「星の砂」の瓶を見る度に、おそらく自分たちの弱さを思い出すことになるわけだ。黒い話しといえばたしかにそうだと思うが、目の前の不幸から逃げるために誰かに依存することを選ぶというのは極めてありがちな話で、それが誰かを不幸にするとわかっていても、当人にしてみればそうするしかないのだ。その気になれば、すべてをきれいにまとめることもできる中で、あえてこういう形のエンディングを入れた所は立派だと思う。

 結論。鍵流のファンタジーに違和感なく没頭できる人にとっては、25時間ぐらいかけてでもプレイするだけの価値はあると思う。キャラ萌え要素がKanonよりは排除されているので、そういうものを求めている人には向かないが、ストーリーに「感動」を求めている人なら、まあやってみてもよいかも知れない(個人的には美凪シナリオだけやればいい気がするが)。


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