マジカル☆ヒナ

「天耳通」編

(続き)


 「悪い、最近、残業続きで疲れてるんだ」

 ちょっとおどけた口調で、肩を落とす素振りをしながら、航はそう口にした。 妹の唾液に濡れた彼の「暴れん棒」も、

 「林家ぺーです。どうもすいません。」

と言った感じで、ちょこんとその頭を下げた。しかし妹はそんな林家ペーの仕 草にも気づかぬ様子で、

 「何で謝るのよ。悪いのは、わがままな可憐の方なのに。」

彼女のすすり泣きは、嗚咽へと変わっていく。そんな妹の姿に困惑しつつも、 航は

 「女の子はわがままでもいいんだよ。そのために、男は強いんだから。」

と、彼女の耳元でささやき、その斜め下約3cmあたりに軽く接吻した。少し、 彼女の涙の味が感じられたような気がした。

 「おにいちゃん…」

何か言いたげに、じっと見つめる可憐の瞳、その中に未だ残る期待と諦めが交 差しつつ渦巻いている様子を読み取ったのか、

 「きっと、可憐も疲れてるんだよ。今日はおにいちゃんが傍で見ていてあげ るから、安心しておやすみ。」

 と、むしろ自分に言い聞かせるように航は言うと、右腕をベッドの掛け布団 に伸ばした。

 「うん…ごめんね。おにいちゃん。」

 ベッドの中で瞳を閉じている妹の姿を、ひとしきり眺めていた航だったが、 彼もいつしか眠りの中に引き込まれて行ったようだった。

 彼の「林家ペー」をしまうのも忘れたままで。

☆☆☆

 その頃…

 「もう、まってるの、イヤ!」

 車の後部座席で、体をむずむずさせながら、兄の帰りを待っていた雛子だが、 ついに我慢の限界を迎えたようで、ロックされたドアを開けると、通りの向か いの道路めがけて走り出した。

   「あー、あーぶーなーいー」

 彼女を追いかけるようにして飛び出した亞里亞が、向こうからやってくるト ラックを見て叫ぶ。この辺りは主要幹線のバイパスとして、夜中でもけっこう、 車の通りは多いのだ。これに加えて週末ともなると、北関東地域名物の珍走団 たちも、「全開バリバリ」で、この2車線道路を走り抜けて行くのだ。

 幸いにして、珍走団「怒羅彗悶」の狂ったバイクによってあぼーんされるこ ともなく、二人は数刻前に航が立っていた商業ビルの入り口に立っていた。昼 でも薄暗い階段、ましてや夜の薄闇の中、雛子の足も先に進むことを躊躇して いた。

 「…やっぱり、くるまでまつ…」

 もう半泣きモードに入っている亞里亞を見て、

 「うん…そうしようか…」

と言いそうになった雛子だったが、

 「ふかー!!」

 上の方から聞こえる何者かの叫びに、彼女は驚愕のあまり、思わず下の階段 めがけて走り出してしまった。たかが2匹の雄猫の喧嘩に過ぎないというのに。

 「まってー。」

 もはや泣き出している亞里亞は、雛子を捕まえようとばかりに手を振り回し ながら、彼女の後を追いかけていた。

…それから、どう走ったのかはわからない。何かに追いかけられている気 がして、二人は泣き叫びながら、次々とドアをノックし続けた。しかし、非情 なことに、週末の、こんな時間の商業ビルに残っている人はいなかったと見え て、なかなか彼女たちの望みがかなえられることはなかった。

 「あーん、おにいたまー」

 雛子の叫び声も、今の亞里亞にとっては、暗闇から襲ってくる魔物の声と同 様に聞こえていた。

 「いやー!」

 そう言って、彼女が手をかけたのは、「シバ建設」の表札が出ているテナン トからちょうど2つ目のドアのノブだった。そこに走りよった雛子も、彼女の 隣で激しくドアを叩く。

   半狂乱の様子を呈していた亞里亞が、それでもノブを右に回すと、思ったよ りも軽く、そのドアは開いた。息を切らせた二人が、外の魔物から逃れるよう にと、その中に飛び込むと、

 「ガシャン」

意外にも重たい音を立てて、ドアは閉まった。

 二人が落ち着くまでに2・3分はかかっただろうか?その部屋の中は静寂そ のものであった。いや、正確に表現するならば、「しっかり外界の情報から遮 断されている」というべきか。壁があるのかどうかもわからないような、一面 の闇。ただ、数メーター先の、「コ」の字型に見えている、いかにも弱弱しい 光の線だけが、外界の存在を示唆していた。

 闇が実体を持って、二人に迫ってくるような気がした。しかし、あいかわら ず、聞こえるのは、亞里亞のしゃくりあげるような声と、

 「くらいよー、せまいよー、こわいよー」

という雛子の声だけだ。

 ますます、闇が二人を追い詰めていく。その無言の圧力に、二人は体を押し 付けあって、互いの震えをその身に感じていた。

  亞里亞の手が、雛子のおなかの辺りの大きなポケットに当たった時、二人 はその顔の少し下あたりに、ぼんやりと光る何かを見た。すがるように、ポケッ トの布地から透けて出てくる光のあたりに、雛子は右手を入れ、それを自分の 鼻の近くまで近づけると、亞里亞も涙と鼻水でぐしょぐしょになったその顔を、 その物体に寄せてきた。

 さっきまで泣いていた二人は、その物体から出てくる青白い燐光を、いかに も不思議なもののように眺めつつ、

 「どうしたの?」
 「よくわからないけど、おうちにかえったらはいってたの。」

   嘘ではない。雛子が可憐から「へんたいゆうかいま」から救済され、おうち でおきがえをしようと、お気に入りの服のポケットに手を入れた時に、この小 さな透明の物体が出てきたのだ。おそらく、転んだ拍子にでも、飛び込んでい たに違いない。

 「きれいー」

 そういいつつ、雛子の指先にある物体に亞里亞が人差し指を触れた刹那、


 「うわっ!」


 そのドクロ型の物体は「閃光弾が投げ込まれたのか」と思わんばかりの強烈 な光を、2つの目から放った。地球にある3794の謎の1つ、宇宙人から授けら れた高度技術によって作り出されたというオーパーツ「クリスタルドクロ」。 本物は下から光を当てると両目が光るというが、オリジナルは自ら光を放つも のだったのだろうか。

 その目を襲った強い刺激に、一瞬、盲目となっていた雛子と亞里亞。しかし 次の瞬間、二人は七色の光が渦巻く世界に立っている自分たちを発見した。空 には白や緑、そして紫のパジャマのような服を着た人たちが、座禅を組んだま まで飛び交っている。

 「救え!救うんだ!」

 数時間前の、亞里亞の家のテレビ画面の中に投げ込まれたような按配である。

 雛子は、亞里亞の姿を、一瞬、不自然に感じたが、それは彼女がいつの間に か緑の魔道着姿になっていたからだろう。しかしそんな感覚は、別の強い感情 によって、すぐに忘れ去られていた。

 「そうだ、おにいたまをたすけないと!」

 雛子がそう叫ぶやいなや、その目の前に「赤の扉」が前触れもなく現れてき た。そして次の瞬間には、二人してその向こう側へと飛び込んでいたのだ。

☆☆☆

 千影の魔法儀式は最高潮を迎えていた。祭壇の炎を赤々と燃え上がり、その 向かいにはヒブル語で

 「私は敗北主義者です」

 と書かれたCDをぶら下げた、子猫の残骸が転がっている。

 「可憐・・・これが私からの、最後のプレゼント・・・」

彼女はそう呟くと、今、航から切り取ったばかりの髪の毛と、鉛でできたアン クを、目の前の炎の中に投げ込んだ。システインの分解臭と、鉛独特の重たい 匂いが辺りを埋めていく。

 「あんまりいじめすぎて、妹を壊してしまわないようにね、兄くん。」

 これから兄妹の間で繰り広げられるであろう、淫虐のフェスタを想像し、い かにも満足げに笑みを浮かべた千影。その期待に答えるかのごとく、千影の足 元に転がる航の股間のイチモツは、ズボンの下で、今しも「青春爆発ファイ ヤー」モードに入っている。

 「そして、可憐、あなたが頂点に達した時・・・今度は、私があなたの意識 をポアする番・・・」

 そう低く呟くと、千影はコトの成り行きを確かめるべく、アストラル界への 門を開く儀式を開始した。

"Huc per inane advoco angelos sanctos terrarum aerisque, marisque et liquidi simul ignis qui me custodiant foveant protegant et defendant in hoc circulo."

"Slave Raphael cuius spiritus est aura e montibus orta et vestis aurata sicut solis lumina."

 彼女が東を向いて風の召還五芒星を切り、その足を南に向けた、その時…。

 どこからか、風が吹き込んできたのか、祭壇の炎が大きく揺れた。背中の後 ろの方から、何かが入ってきた様子だ。

 「おにいたま!」

 約2m先に転がる兄を目にして、雛子が大声を上げた。その後ろから、もう 一人が駆け込んでくる足音も聞こえてくる。一瞬、動きが止まったようだが、 しかし、その物音にも気づかない素振りで、千影は小五芒星の儀式を粛々と続 ける。

"Slave Gabriel cuius nomine tremunt nymphae subter undas ludentes."

"Slave Michael, quanto splendidior quam ignes sempiterni est tua majestas."

 亞里亞がなだれ込むように部屋に飛び込んだ時、彼女は立ち止まっていた雛 子と大衝突した。

 「あーん、いたいよー。」
「いーたーいーのー、くすん」

   雛子に折り重なるように倒れている亞里亞も、その伸ばした腕の先の感触で、 おぼろげながら、事情を把握したようだ。

 「なんかあるの、ここ…」

 内側に12星座のシンボル、外側に聖なる文字が描かれた魔法円、その中にお 目当ての「おにいたま」がいることは確かだ。だが雛子はその外縁から、一歩 も入れないのだ。

 「うぐぅ、いぢわるだよー」

 目に涙を浮かべて、彼女は

 「ひなこがまほうつかいさんだったらいいのに…。」

と強く願ったのだが、残念ながら、イリオモテヤマネコのDNAを注入された訳 でもない雛子が、根拠不明に「アダルトタッチ」で猫ミミメイドさんに変身し たりすることはありえない。やはり「海底人801」、いや「宇宙人ラ・ムーダ」から、変身アイテムを受け取らなかったのが敗因なのか。

 魔法円の中央に立つ、髪の長い女性の横顔が、祭壇からの光で影を帯びてい る。本能的な恐怖が雛子を襲ったが、別に何が起こったという訳ではない。

 「おにいたま…たすけて…」

すぐ目の前にいる兄を見つめて、今にも泣き出しそうな雛子。そんな彼女を心 配そうな顔で見ているしか、今の亞里亞にできることはなかった。涙目の彼女 は、雛子の顔から目線を逸らし、魔法円の中心にいる誰かの方に向かって顔を あげた。

 ちょうどその時、千影は北へとロータスワンドを向けて、今しも地の召還五 芒星を切り終わろうとしていたのだが、

 "Slave Uriel, nam tellus et omnia viva regno tuo .... !"

魔法円の外にいる、緑の法衣を着た幼女を見て、そのフレーズがとまった。

 「姉や!?」

声を上げたのは、亞里亞の方が先だった。

 「アーチャリー!?」

驚きのあまり、思わず声を上げそうになった千影だが、しかし実際に口から出 たのは、

 「ええい!私に妹などいないわ!」

という言葉だった。

 「…ありあなの。姉や、わすれちゃった?くすん」

 「私は『魔の世界のもの』。そして、ここは闇の支配する世界。お前たち人 間の来るところではないわ。」

 そう言いつつも、振り下ろしたワンドを握りしめるその手は、小刻みに震え ている。

 彼女は、手を伸ばすと届かないこともない距離にいる妹から目をそらし、最 後の意志を召還して、儀式を終了させようとした時、

 「それまでだ!」

 誰かの声がしたかと思うと、部屋の18本の蛍光灯に、一気に明かりが点った。

 「だっ、誰だ?私の大いなる計画の邪魔をする奴は。」
 「名乗るほどの者ではない。通りすがりの正義の味方だ。」
 「あっ、『へんたいゆうかいま』のオジサンだ。」

雛子が指差した先には、レンタル品のタキシードの上着を着用した、全身タイ ツの男が、白いバラを片手にポーズを決めていた。

 「なに!?誘拐魔だと?」
 「そう、うまく騙して、2人も誘拐してくるとは、お前の腕前もたいしたも のだ。褒めてやろう。」

 誘拐魔一号は、千影の足元に転がっている冷凍マグロ、いや可憐と航を指差 して、

 「…だが、その腕は、世界じゃあ、2番目だ。」
 「せっ、世界一はどこにいるというんだ!」

 変態タキシード野郎は、無言で白手袋の指先を2・3度左右に動かすと、人 差し指を自分の鼻先に向けていた。

 「…じゃあ、勝負だ!」
 「いや、勝負はもう、ついている。」

 というと、この男は近くにいた、緑の服を着た幼女に駆け寄り、その体を羽 交い絞めにして、

 「さて、この娘をどうしたものかな…」
 「ひっ、卑劣な…」

 変態ペド野郎の魔の手が、いたいげな幼女の胸元に伸びようとする。その時、

 「うわっ!」

 叫びは男の声だった。千影の足元で白墨の粉が少し飛び散ったかと思うと、 彼女は魔法円の外に立つ変態野郎の背後に周り、「カンチョー」を一発、決め たのだった。

 「うきゅー」

 という間抜けな声とともに、彼女が作り出していた空間も、だんだん歪んで いき、やがてバーミリオン色をした早朝の世界が、彼らの周りを満たしていく。 気が遠くなりそうな痛みの中で、「世界一の誘拐魔」(自称)が目にしたもの は、黒い服を着た髪が長い女が、彼から奪い取った幼女を抱きしめている姿だっ た。だが、その女の姿は朝焼けの光とともに消えて行き、やがてそこには嬉し 涙に濡れた顔の亞里亞と、それを不思議そうに眺めている雛子だけが残されて いた。

☆☆☆

 ゴーストタウンに朝日が昇る。
 そんな時分、ボロボロになったタキシードを着た一人の男が、内股でとぼと ぼと歩いていく。

 「あー、うまいコーヒーが飲みたいなー。」

現実から逃避するように、男は呟いた。


 「『へんたいゆうかいま』のおじさんが、ひなこたちをたすけてくれたんだ よ。」

 全ての始まりは、彼女の誤解を招く発言にあった。可憐と航の厳しい視線が、 同時に一人の男に集まる。

 「きっ、君も見ていただろ、私の機転に満ちた、悪との闘い方を。」

彼のすがるような目に、亞里亞は

 「ありあを『ホンコンにうりとばす』って、なぁに?くすん」
 「俺はそんな台詞、言ってない!!!」

可憐の手に、またアイスピックが光る。彼女は、いつもそんなものを持ち歩い ているのだろうか?

 宇宙人ラ・ムーダ、その前途は多難である。しかし、大丈夫であろう。これからの地球の平和は、亞里亞と雛子が守って行くことになるのだから。


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