サルモネラ


 サルモネラ(Salmonella)はヒトや動物の腸管に生息し、食物や水を介して人間に感染症を引き起こす。この菌は1885年にSalmonとSmithが豚コレラから発見し、その3年後にGartnerが食中毒患者から初めて分離している。分類学上はS.entericaS.bongoriの2種類に分類され、その中の亜種を含めて6生物群に区分される。ほとんどのヒトに対する病原菌株は生物群Iに含まれ、その血清型(約2,300種類)に基づいて命名が行われている。日本では1950年中旬までS.Enteritidis(SE)による食中毒が多かったが(卵型)、戦後の経済発展とともにS.Typhimurium(肉型)に主役を譲り、1960年以降はこれに加えて外国から入ってきた種々の血清型の菌による事件が発生した。しかし1985年以降、S.Enteritidisが復活し、現在の事件の約8割がこの血清型の菌によるものである。1980年代以降のSE食中毒増加の原因はイギリスから輸入された採卵鶏ヒナのSE汚染であるとされる。1997年に厚生省は「タマゴによるサルモネラ食中毒の発生防止に関する分科会」を作って、予防対策について検討を行っている。

 卵のSE汚染には「in egg」と「on egg」の二種類がある。前者は親鶏の卵巣・輸卵管にSEが感染することで、卵の内部に菌を持っているもの。一方、感染鶏の糞便などに由来する菌が、採卵場の水や塵を介して他の卵の表面に移行したケースが後者に該当する。in egg汚染は生卵1万個に数個程度で、その菌数も卵1gあたり1個程度と非常に少ない。ただしそれは農場や採卵鶏の年齢・飼育条件で変化することが知られ、特に産卵力の落ちた鶏の「強制換羽」の直後には急増することが明らかになっている。卵の表面には菌の大きさの約10倍程度の穴が開いているため、汚染菌はひび割れ、あるいは水洗時の温度差などによって殻の内部に移行することができる。場合によっては1月後に1gあたり1000万個以上の水準にまで増殖する場合もある。また「液卵」は2万個の卵が1ロットであるために、その中に一つでも汚染卵が入っていると、全体にその汚染が及ぶ。村瀬・仲西による液卵加工食品の調査(1990.11-1992.10)によれば、545件中78件(14.3%)からサルモネラが検出され、夏時期に限るとこれが約1/4にまで増加していた。自家製マヨネーズ・ティラミスなど加熱殺菌ができない食品が特に危険である。なお市販マヨネーズについては、製造後の保管期間中に酸の作用によって、SEが死滅することが確認されている。サルモネラは70℃1分以上の加熱で死滅し、ゆで卵中のSEは沸騰水中7分以上の加熱で死滅することが実験的に確認されている。各種の卵調理食品中のSE消長については栗原・今井(1998)を参考にされたい。

 サルモネラ(チフス菌を除く)によるヒトの感染症の大部分は急性胃腸炎である。胃の殺菌を免れた菌が小腸下部で増殖し、病原作用を現す。その機構は小腸粘膜上皮への接着と、そこからの侵入によるもので、染色体上にコードされるinvA-invO遺伝子が病原遺伝子である。人体実験に基づき、昔は発症に必要な菌量は10,000個と言われてきたが、その後、数十個のオーダーで感染が成立したと推定される事例が相次いでいる。基本的に胃を早く通過するものほど、必要な菌量は少なく(水は10個レベル)、チョコレートやチーズでは胃酸から菌が保護されたために50-500個オーダーで感染が起こっている。

 感染成立後の潜伏期間は平均8-24時間で悪心と嘔吐から始まり、続いて速やかに腹痛および下痢が起こる。腹痛は臍周囲または右下腹部に局在し、下痢は3-4日後に消滅する。ただし症状には幅があり、数回の軟便程度のものから、一日に20-40回の下痢により脱水症状を呈するもの(胃酸が低い人に多い)、あるいは粘血便と著名なテネスムスを伴う赤痢様のものもある。患者の約半数に中程度の発熱が見られるが、1-2日中に平熱に戻る。これ以上熱が続く場合は、菌血症あるいは病巣感染の可能性がある(特にS.Choleraesuisによるものが多い)。小児はより重症化の傾向がある。下痢症が平均8.7日続き、菌血症も起こりやすい。特に乳幼児では症状が軽快した後も菌が腸管にとどまり、慢性下痢の原因となる。大人の場合でも軽快後、20週で5%、0.5%が一年後まで排菌が続くため、食品調理・加工業従事者は注意が必要である。2001年9-10月に愛知県豊橋市で発生した「月見まんじゅう」事件(発症者163人)は、シュークリームの試作に使った調理器具を介して饅頭が汚染されたケースで、その汚染レベルが低かったために潜伏期も3-16日と長かった。特に生卵を扱う場合にはクロスコンタミネーションに対する配慮が必要である。

 最近のサルモネラによる大規模食中毒事件には1996年のホウレンソウサラダ(患者1833人)、1998年の冷凍ケーキ(1507人)、1999年の「バリバリイカ」(1634人)などによるものがある。

(ケース1)ティラミス食中毒事件

 1990年9月、中国・四国地域1府9県にわたる大規模なSEのdiffused outbreakが発生。患者の発生は9月6日から16日までの11日間で総数697名(ピークは8〜10日で554人)。原因食材は、当時流行していた「ティラミス」で患者は20代の女性が中心(230名)だった。問題のティラミスケーキは、5日〜10日にかけて 7664個が製造され、系列26店舗で販売されていた。患者宅で保管されていたティラミス残品から100〜1億個/gのSEが分離され、そのファージタイプが患者糞便由来SE株一致した。卵白から検出されたSEは原因菌とファージ型が異なるが、液卵が5時間、室温(25℃)に放置されていることもあり、卵からの汚染が強く疑われている。

(ケース2)冷凍ケーキ食中毒事件

   1998年3月12-13日にかけて東京都昭島市の3中学校(昭和中、清泉中、拝島中)の657人が食中毒症状を訴え、28人が入院。その後、3月16日または17日の給食で、神奈川県秦野市南小、相模原市新磯小、寒川町小谷小の児童、教職員合わせて419人が食中毒症状を訴えた。同時期に岩手県宮守村の3小学校(鱒沢小、達曽部小、宮守小)でも、66人が食中毒症状を訴え2人が入院。福井県武生市白山小、白山幼稚園では18日の給食で食べ、17人が食中毒症状を起こし、7人が入院。4都県にまたがる大規模なdiffused outbreakに発展した。原因食材は、大阪府泉大津市の「虎屋」で学校給食用に製造された「三色ケーキ」で、冷凍状態で出荷、解凍して食べさせていた。神奈川県では患者等の検便781検体中205検体からS. Enteritidisが分離された、岩手県の検査で三色ケーキ10検体中2検体から当該菌が分離されたことなどから、三色ケーキを原因食品とするS. Enteritidisによる集団食中毒と断定された。同じ1998年9月25日には滋賀県内の幼稚園で冷凍洋菓子を原因とする食中毒事件が発生(患者数46名)。原料の未殺菌液卵からアンピシリン・ストレプトマイシン耐性を持つS.Saintpaulが検出され、そのファージタイプ・PFGEパターンおよびプラスミドプロファイルが患者由来下部と一致したことから、これが原因食材であると断定された。

(ケース3)「納豆卵」による死亡事件

1997年8月、山梨県で「納豆卵」を原因とする死亡事件が発生した。患者は果樹栽培農家の53歳男性。8月2日朝7時すぎに朝食のため生卵を割り、納豆にかけて食べようとしたが、急用が生じたために外出。帰宅後の午前10時に卵を納豆と混ぜて食べた。翌日の午前10時半に下痢・嘔吐・発熱の典型症状を呈し、その次の日に入院を勧められたが辞退。その後、8月7日までは抗生物質の投与を受けていたが、8・9日は受診せず、11日に状況が急変して緊急入院。翌日朝に死亡した。おそらくSE汚染卵を常温で保存したことと、その後の治療を怠ったことが死亡につながったケースである。1949年10月には福島県で患者数621人(死者30人)、1952年10月には京都市で患者数46人(死者3人)、1953年3月には千葉県で患者数133人(死者3人)の、納豆を原因食材とする食中毒事件が発生している。これらの事件はネズミの糞便で汚染した稲藁が汚染の原因であることが判明しており、現在の製造法でこのような事件が発生することはまずありえない。しかし1989-1997年の卵および卵料理によるSE食中毒患者のうち、約3%が納豆卵によるものである。納豆に含まれるジピコリン酸の抗菌作用を強調する向きもあるが、その作用は弱いため、あまり過信すべきではない。

(ケース4)「バリバリいか」食中毒事件

 1999年1-5月にかけて青森県八戸市の一工場で製造されたイカ乾燥菓子による全国規模の食中毒事件が発生。総計1,634名の患者が確認された。青森県の調査では工場のいたる所からS.oranienburgが検出された。患者由来株と原因食材、および工場由来株のRAPD、PFGEパターンや種々の生化学的性状が一致したことから、この工場が発生源として特定された。問題の菓子は21種類の銘柄で全国規模で販売されており、主な消費者が子供であったことが事件の拡大につながった。製造面からみると乾燥室の温度がサルモネラの増殖可能温度であったこと、原料ミミイカの解凍・浸漬を屋外で行っていたこと、および日常の洗浄・消毒が不十分であったことが事故の原因とされる。その後、この事件にはS.Chesterも関係していることが判明し、検査現場の非定型サルモネラ(リジンデカルボキシラーゼ陰性)への注意を喚起することになった。

(ケース4)「月見まんじゅう」食中毒事件

 2001年9月20日から約1月間、愛知県豊橋市でSEの散発事例が相次いだ。9,10月の2ヶ月間に163人発症者が出ており、10月8-9日がピークであった。疫学解析により、10月1日または2日に出された学校給食の「月見まんじゅう」が原因として疑われた。これは豊橋市内の業者が製造したもので、原材料として卵は使用されていない。しかし製造日以前の数日にわたり、未殺菌液卵および殻つき卵を用いたシュークリームの試作を行い、これと月見まんじゅうに使用した包餡機が共用されていた。また加熱調理に使用した蒸器が老朽化していたにも関わらず、製品の中央温度は測定していなかった。最終的に原料液卵と月見まんじゅうおよび患者の小学生由来株のファージタイプ・PFGEパターンが一致したことから、原因食材は液卵であると特定された。なおこの事件以降、この鶏卵会社は液卵製造から全面撤退している。

(文献)