病原性大腸菌


 通常の大腸菌は家畜や健康な人の腸内にも存在する。ほとんどのものは無害だが、一部に人の腸管に感染して下痢などを起こすものがあり、これらを総称して病原性大腸菌と呼ぶ。病原性大腸菌は下痢原性大腸菌とも呼ばれ、その病原因子と症状の違いから次の5つに分類される。
  1. 「腸管病原性大腸菌(EPEC)」
  2. 「腸管毒素原性大腸菌(ETEC)」:LT/ST(のいずれかを)生産
  3. 「腸管進襲性大腸菌 (EIEC)」
  4. 「腸管出血性大腸菌(EHEC)」:VT生産
  5. 「腸管凝集粘着性大腸菌(EAggEC」
 特に症例が多いO157株や026株はEHECに属する。EHECとETECは生産する毒素が異なる。ETECの生産する易熱性エンテロトキシン(LT)はコレラ毒素に類似であり、耐熱性エンテロトキシン(ST)は60℃10分の加熱では壊れない。EHECが生産するVero toxin(VT1/VT2)は志賀赤痢菌の生産するSiga toxinと同一および約55%の相同性を持つ。このためにEHECを志賀毒素生産菌(STEC)と呼ぶことも提唱されている。ベロ毒素(VT)の動作機構は60Sリボゾームサブユニットを失活させることで、蛋白合成を阻害するものであり、破傷風毒素やボツリヌス毒素と並んで、動物に対する最も強い毒性を示す。

 ETEC感染症は数百個程度の非常に少ない菌数で発症すると考えられており、代表的な臨床症状として激しい腹痛を伴う血便が上げられる。潜伏期は平均3.8-8日と比較的長く、多くの場合、初発症状として腹痛とともに粘液成分の少ない水溶性の下痢を示す。1-2病日後に鮮血の混入を認め、典型例では便成分をほとんど含まない鮮血となる。悪心・嘔吐は約半数の症例に認められるが、軽いことが多い。時として悪寒および38℃以上の発熱がある場合もある。血便を訴えて数日後、約6-8%の患者が溶血性尿毒症症候群(HUS)に移行し、特に小児・老人などハイリスクグループは注意が必要である。症状としては頭痛・偏眠・幻覚などに続いて、数時間-半日程度で痙攣・昏睡に至る。HUSに関連した死亡率は5-10%程度である。一方で感染しても症状が出ないケースもある。例えば1996年に大阪府堺市が市民を対象に実施した無料検便では、931人中35人(3.8%)からO157が検出されたが、これらの人の多くには目立った食中毒症状はなかった。

 O157は他の食中毒菌と同様熱に弱く、加熱あるいは逆性石けんやアルコールなどの一般的な消毒剤でも容易に死滅する。したがって、手をよく洗う、肉類は十分に加熱するなど通常の対策で食中毒が予防できる。ただし、一般にEHECは酸に対する耐性が強くpH4以下の条件でも長期間生存する。Benjamin & Datta (1995) によればO157はpH3.0,2.5の強酸性条件下で少なくとも5時間は死滅せず、またConner(1995) が酢酸(酢の主成分)やクエン酸(梅肉の酸成分)などを含む、弱酸性(pH5-4)の有機酸中でのO157の生存率を測定したところ、常温中ではたとえ酸性条件下でも100-10000倍も菌数が増加することが確認された。実際に1991年以降アメリカやイギリスでアップルサイダーやヨーグルトなど酸性食品を原因とする集団食中毒事件が発生しており、日本でも「和風キムチ」など即製漬け物類による事例がここ数年、相次いでいる。実験的にもヨーグルト程度のpH (4.5近辺)でEHECは完全に死滅しない(Massa et al.:1997)。したがって家庭でヨーグルトを作る場合には器具および牛乳の加熱殺菌を確実に行うことで、O157の混入を防ぐことが重要である。Liu et al. (1996) はO157の耐酸性機構について詳細な検討を行った結果、同株は弱酸性(pH3以上)- 強酸性(pH2)の条件下でも機能する、強力な耐性機構(「アルギニン依存性」「グルタミン依存性」「酸誘導型酸化」の各メカニズム)をもち、これによって細胞内部のpHの低下を緩和させることができるので胃酸中のような低pH条件下でも生き残ることができると結論付けた。このような機構は酸性条件に菌が置かれることで誘導されるので、Leyer & Johnson (1995) が示したように一度、弱酸性(pH5)中で酸性に適応したO157はより低いpH(pH3)のアップルサイダーのようなものの中でも死滅しにくくなる。

 食中毒原因菌として病原大腸菌O157:H7株が世界的に注目されたのは、1982年2月と5月にアメリカ(オレゴン州・ミシガン州)で発生した事件からである。このケースでは、ファーストフードチェーン店のビーフハンバーガーを食べた住民47名が、子供や成人に関係なく強い腹痛と大量の新鮮血の混ざった水様性下痢(血性下痢)を呈し、患者からO157株が分離された。この事件を契機として日本でも1985年1月に症例の有無の検索が行われた。保存していた下痢患者糞便をさかのぼって調査したところ、1984年8月22日発病の兄弟の事例からO157:H7が検出されており、これが日本における初めての感染事例とされている。

 米国防疫センター(CDC)のデータによると、1982年以前のO157による下痢は稀であったが、最近では検査したすべての便中の0.4%、血性便中の7.8%に発見されており、逆に分離された大腸菌O157の68%だけが血性便から分離されている。つまり1980年代に入った頃からO157による食中毒事例が増加し、それが全世界的に広がっていったと考えられている。日本では1984年の事件以降も散発的にO157食中毒事件は発生しており、1990年に浦和市の私立「しらさぎ幼稚園」で初めての死者2名が出ている。米国よりも約10年ほど遅れたこの時期から、O157による食中毒事件が急増していた。なお、O157による食中毒で3人以上の死者が出たケースは、1996年に起きた大阪府堺市の学校給食、1998年11月に山口県田布施町の特別養護老人ホームで起きた給食の事例がある。

 種々の研究により、O157の感染源は牛などの家畜であると推定され、堆肥や用水を介した農産物の汚染、あるいは精肉後の二次汚染によって、野菜などの汚染が生じているものと考えられている。日本の牛糞便からのO157検出状況については1989年以降、いくつか報告があり、その成績は平均すると1%程度である(ETEC全体で見ると17.6%とする報告もある)。枝肉となると汚染率は下がり、市販食肉のO157汚染は0.3%程度(食品の汚染実態に関する研究班:1996年)、特に内臓肉や挽肉については注意が必要である。日本では1996年9月に東京都内でハツ・ロースによる焼き肉食中毒事件が、2000年2月には横浜市内のチェーンレストランでハンバーグを原因とする事件が起こっている。後者の事例ではパテに付着していた菌量は100以下だったが、加熱時の中央温度が42-60℃と、十分な殺菌温度(75℃)に達していなかったことが判明している。ハンバーグの加熱調理条件については日本調理科学会の詳細な検討例が報告されており、焼き終わりは「肉汁の赤みが完全に消失して透明になったことを確認した直後」が適切であるとされている。「焼き肉屋」に関する岡山県の実地調査(1999-2001.7)によれば、病原性大腸菌が4.2-15.6%検出され、特に大腸・タンおよび鶏肉の検出率が高い。サルモネラやキャンピロバクターも検出されている。客が使用した箸の5%から病原性大腸菌が検出されている。また原料肉の解凍やタレへの漬け込みによって大腸菌数の急減は見られていない。O157の患者あるいは健康保菌者からの直接感染の危険は低いが、調理時の食品汚染の原因となることがあるので、食品を介した二次感染の危険に、調理業従事者は注意すべきである。

(ケース1)堺市カイワレO157事件

 1996年の5月から7月にかけて、中国・関西地域で大規模なdiffused outbreakが発生した。5月末に岡山県邑久町で患者数468人(死者2名)、岡山県新見市で患者数364人などの散発的なケースが連続し、7月に入ると大阪府堺市で患者数6,561人に上る(当時の日本では)史上最大規模の事件が発生した。厚生省生活衛生局食品保健課の集計によると、この集団感染事例による同年中の有症者は累計9,451人、無症状感染者は669人であり、入院者が累計1,810人、死者が12人。
 堺市は91校の全小学生を対象として、給食メニューのうち何を食べたか調査し、その疫学的解析によって「カイワレが原因食材である可能性が最も高い」という結果を導き出した。これを受けて「堺市学童集団下痢症の原因究明についての中間報告書」(平成8年8月7日)に「特定施設から出荷されたかいわれ大根が原因食材である可能性が否定できない」と厚生省が指摘。最終報告書でも、8月9日の冷やしうどんに含まれたカイワレ大根が原因食材とされている。翌1997年3月に愛知県蒲郡市と神奈川県横浜市で発生した事例でも、同様の疑惑がもたれている。愛知のケースはホームパーティの手巻き寿司で6人が感染しており、愛知県衛生部は「カイワレからO157が検出され、RFLPパターンが堺市のケースと一致した」と発表。しかしいずれのケースでも業者の施設からは菌が検出されていない。 いずれのケースも米国から輸入された種子の汚染が疑われたが、厚生省の調査では、種子から菌は検出されていない。
 「カイワレ原因説」については民事裁判が継続中で、生産業者側の原告弁護団は疫学調査結果に「科学的根拠がない」とする分析資料を裁判所に提出している。彼らは有症児童が多かった中・南地区の計35校、児童約2万人分の調査票を入手し、不適正な統計処理が行われていることを突き止めた。調査は7月1日〜10日のメニュー36種類について、「食べた」は○、「食べなかった」は×を記入する方法。調査票にはどのメニューについても無回答が20〜23%あったにもかかわらず、最終報告書には「食べた」と「食べなかった」の分類しかない。この無回答を「食べた」に加算すると、すべてのメニューで「食べた」の数とほぼ一致した。堺市が厚生省に報告したデータでは「食べた」が17,683人(うち有症者は6178人)、「食べていない」が602人(同102人)だったが、この調査票を原告側が調べたところ、無回答者が4000人以上いて、「食べた」として処理されていた。この事実に対して厚生労働省は「集計作業にはかかわっていないのでコメントできない。」と回答。堺市保健所食品衛生課も「集計は市衛生部(当時)の職員が総がかりで行ったが、責任者は既に退職し、詳細は分からない。」としている。

(ケース2)ココス「ビーフ角切りステーキ」O157事件

 2001年2月28日−3月15日、関西地域の「COCO'S」で「ビーフ角切りステーキ」を食べた人がO157に感染、患者数6人(富山県2人・滋賀県3人・奈良県1人)、うち子供2人が入院した。うち一人(9歳女児)は「和風ハンバーグ」を食べていたが、友人から分けてもらった1-2切れの角切りステーキで感染している。患者由来株とのPFGEパターンの一致から、埼玉の工場で加工された輸入牛肉が原因食材と同定された。このケースでは肉を柔らかく加工し、調味液を浸透させるために、表面に多数の針を刺し(テンダリング)、肉をタンクの中でもむ作業(タンブリング)を行っていた。通常、微生物は肉の表面にしか存在しないが、このような加工を行うと、肉の内部に菌が移行する。そのために厚生省はこのような加工肉について、表示を求めていたのだが、その工場は指導を無視していた。これに加えて、ココスの調理マニュアルの不備のせいで、肉の中心温度が51-78℃と不十分加熱な所が生じていたことも実験的に確認された。

(ケース3)滝沢ハム「牛たたき」事件

 2001年3-4月にかけて、関東地域全域で「牛たたき」「ローストビーフ」を原因とするDiffused outbreakが発生。患者数288人、入院者数82人、6-10歳の子供を中心に13人がHUS症状を呈した。原因はモンサントブランドの米国産輸入牛肉で、これをHACCP認証工場である滝沢ハム(埼玉)が加工した。このケースではココスの事例のような加工は行われていなかったが、それでも調味液は肉の中に1.3cmも浸透しており、その過程で菌も内部に移行したものと考えられた。表面しか加熱されない食品であったため、内部の菌がむしろその加熱によって増加したことも、再現実験によって示されている。なお「牛たたき」はヨークマートで「牛カルパッチョ」に加工後に特売されており、そのために滝沢ハムは通常の4倍の生産を求められていた。消費者の安物買い志向が小売りを通じて、生産者に無理を押しつけ、その結果として事件が起こったことは、雪印のケースと同様である。またこのケースでは、本来、子供に食べさせるべきではないような食品を、親が食べさせることでHUSを引き起こしていることに注目すべきだろう。

(ケース4)「鳥香味和え」O157事件

 2002年8月2日、栃木県宇都宮市の老人保健施設「陽南」に入院・入所中の患者ら5人が血便・下痢・腹痛の症状を訴えた。事件集結までの139人が発症し、死者が8名。症状が出なかった65名からも菌が検出された。
 この事件では7月29日昼に出された「香味あえ」のみからO157株が検出され、患者由来株とPFGEパターンも一致した。しかし材料のホウレンソウ、きざみネギ、トリささみ肉などからは菌は検出されなかった。また食材の搬入元からも菌は出ておらず、両施設の給食施設以外では食中毒が発生していないことなどから、ここが発生源だと推測されている。材料は前日に納入され、29日午前中に調理されているが、調理施設に冷房はなく、常温で調理作業をしていたという。

(文献)


(C)MFRI [2002]